信仰のこと
特定の宗教に入っているわけではなくても、目に見えない力や神仏はあると考える方は少なくありません。例えばそれは親子や夫婦、恋人同士や友人同士、誰かのことをとても大切に思う気持ちがときには大きな力となるように、目に見えなくても通う心の力が存在するのと似ているのかも知れません。
あるとき服部さんがこんな話をしてくださいました。
「近頃、道ばたのお地蔵さんに手を合わせる習慣が減っているらしいですね」
遠足の小学生たちがお地蔵さんのそばを通りかかったとき、先生が手を合わせるように生徒たちに促すと、“宗教が違うから”と手を合わさなかった子供がいたのだそうです。親からそう教わっているのでしょう。
「道で通行人や車の往来の安全を守ってくれてはるお地蔵さんに手を合わせて感謝することに、宗教の違いは関係無いのではないかと思うんです…」
服部さんは寂しそうにそう言いながら、信仰は各人のためにあるもの。そしてそれは宗派の区分を超えて感謝や敬意から自然とそこにある偶像を敬うものだと思う。ということなどを話してくださいました。
「目に見えないものに感謝をし敬意を払い、その存在を心にかけていると人は謙虚になって、他人も自分も同じ存在であることに気づきます。すると自然に自分以外の者に対して気遣い、敬い、愛をかけられるようになっていきますねんよ」
服部さんのそんな話に、お地蔵さんが私たちを守ってくださっているということならば、それを信じていてもいなくてもせめて“ありがとう”と手をあわせる感謝の気持ちを失わないでいることの大切さに改めて気付かされました。
「他人を気遣い愛をかけていれば、逆に自分がしてもらったときは素直に感謝できるようになるんです。そのことを忘れなければ悪いことなんて起こらんし、生きるなんてどないもないことなんですよ」
服部さんの言う丁寧な生き方にこそ、奇跡のような佳きことがもたらされる不思議は古くから多く伝え知られています。文明ばかりが進化し、そのことを忘れられつつある今の時代にはとても大切なことのように思えます。
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