生きることなんて、どないもない。Vol.6

眼力さんの守役、服部さんが見た今、昔。暮らすこととは、生きることとは、そして生きることとは。~第六話~

眼力さん 生きることのコツ
京都伏見の清らかな場所 眼力さんの手水は石清水
●第六話●

人を想う気持ち

眼力さんにお詣りを続けておられる方には、なぜかそれぞれに不思議な話がひとつふたつあるものです。服部さんから時折聞かせていただくお話からはそのことがよく分かりますし、それ以外にも眼力さんで偶然一緒になった方から、不思議な出来事を直接聞けることも珍しくありません。

「ほんまに最近中国や韓国は発展してきたなぁ」

お詣り後に服部さんの店先で腰掛けていると、居合わせた品の良いご老人が服部さんにそう話しかけていました。恰幅が良く背筋もピンと伸びて、およそ実年齢より若く見えるだろうその男性の話は最近著しい新興国の経済発展のことから、戦時中に自分が韓国に派遣されていたことなどにも及びました。

当時はまだ十代の青年兵だったその男性が赴任したのは朝鮮半島、現在の韓国の港町でした。その部隊では日本軍の船が運んでくる武器や物資を運搬する道路を整備していたそうです。ある日の朝、男性は現場に向かう車に早めに乗り込んで皆を待っていると、今まで体験したことのない胸騒ぎと、どうにも嫌な予感がしたため、別の座席に座り直して気を紛らわせようとしました。

地ならしされていない山道を兵士たちがすし詰めに乗せられた車が進んでいると、大きな石にタイヤが乗り上げ勢い余った車は崖下に転げ落ちてしまいました。 大事故でした。兵士たちは命からがらひっくり返った車から脱出したのですが、仲間の兵士一人が出てきません。兵士たちはみんなで力を合わせてようやくひっくり返った車を起こしたのですが、残念なことにその仲間は首の骨が折れてすでに息絶えていました。

実は亡くなった仲間の兵士は、最初にその男性が座っていた席に座っていたのでした。そのため男性はその兵士のことを大変気の毒に思い、終戦を迎えてからもその方のお墓を参りし、今でも忘れることができないのだそうです。

もし自分があのとき席を替わらずにいたら…、男性はそう思うと怖いと感じるよりも、何かに助けられたと強く感じたのだそうです。その事故から1週間ほど経った頃、日本のお母さんから手紙が届きました。

「お前の身に何か良くないことが起きていませんか? 先日神棚の狐さんの首が、落としもしていないのに突然折れてしまいました。心配しています。便りをください。」

眼力さんにお詣りで、生き方のきっかけを

男性はそれを読んでたいそう驚きましたが、やがて命を救われた意味を自分なりに考え「これからは一人でも多くの人のためになるように生きよう。」と決心したのだそうです。その誓いどおり男性は大勢の人の暮らしを支える住居に関連する会社を起こし、その会社でもまた人をたくさん雇えるようにずっと頑張ってきました。

「あぁ、ちょっと話しこんで、遅なったな…」

そう言うと男性はお茶代を湯飲みのそばにそっと置き、眼力さんを後にしました。

「子を想うお母さんの気持ちが、ちゃんと神様に届いてたんでしょうねぇ」

服部さんはそう言いながら男性の背中を見送ったあと、その男性のお母さんが、服部さんのお父さんの代から家にお稲荷さんの神棚を祀り、まだ幼かったその男性の手を引いてずっとお詣りを欠かさなかったこと。そしてその男性もずっと続けて眼力さんにお詣りをされていることなどを話してくださいました。
眼力さんには、親が子を、また子が親を想ってお詣りに訪れる方が多くおられます。今ではそういう方を見かける度に、自分以外の者のための祈りこそ本当に神様に届くもの…という服部さんの言葉と、その男性のことが思い出されます。


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